東京地方裁判所 昭和34年(ワ)1447号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
〔事実と判断〕本件土地はもと石川ナツの所有で、同人が被告森尾に昭和二六年九月一日から期間二〇年と定め、木造建物所有の目的で賃貸していて、被告森尾はその上に保存登記を経た本件建物を所有していた。原告は昭和三三年一〇月一三日石川ナツから本件土地を買い受けて所有権者となつたが、被告等が無権原でこれを占有しているとして、建物収去土地明渡を求めた。そして被告等の右賃借権ありとの抗弁に対し、右賃貸借契約は、被告森尾が昭和三三年四月分から同年八月分までの賃料支払を怠つたので、当時の賃貸人たる石川が同年九月一九日無催告契約解除の特約条項に基き契約解除の意思表示をしてあるので、すでに終了していると再抗弁した。これに対し、被告等は、右特約条項は不動文字によつて記載された例文にすぎず、また石川は前記延滞分については支払の猶予を与えたことがあり、かつ従前の賃料支払のしきたりからみて右特約条項は合意で改訂されて、催告を必要とすることにされていたから、石川のした契約解除の意思表示は無効であると争つた。
判決は、次のように、右特約条項を有効と解したが、賃料支払に関する従前の経過を認定したうえで、それが合意で改訂されたとする被告等の主張を容れた。曰く、
「まず、訴外石川ナツと被告森尾間の前記賃貸借契約に関する公正証書中に、不動文字を以てする『賃借人が賃料の支払を怠つたときは催告を要しないで契約を解除され賃借物の返還を請求されても異議ない』旨の特約条項の存することは当事者間に争なく、被告等は、右は所謂例文に過ぎずして拘束力なき旨主張するが、いやしくも公証人としては、もし不必要な条項であるならば、当然当該不動文字を抹消又は訂正すべきものであるから、しからざる限り、不動文字の故を以てその拘束力を否定すべきものではない。さらば右無催告契約解除の特約条項は有効に成立したものといわなければならない。なお当事者の合意を以てかかる特約条項を設けることは原則として法の禁ずるところではない。」
「しかしながら、……を綜合すれば、被告森尾は昭和三十年八月本件場所から調布市の肩書地番先に転居するまでの間は毎月さしたる滞りもなく賃料を支払つていたものであり、転居後、調布市より訴外石川ナツの住居先たる台東区浅草三筋町まで賃料を持参するには往復四時間近くもかかるため、便宜数ケ月分をまとめて一括支払をしたい旨の諒解を求めたところ、同訴外人よりその承諾を得たので、爾来かかる支払方法を続けてきたものであり、時に同訴外人から支払の催告を受けたことはあつたが、その場合には催告に応じて直ちに賃料の持参支払をなしており、従前賃料支払の遅滞を理由に契約解除をほのめかされるようなことは全くなかつた矢先、突然昭和三十三年九月十九日賃貸借契約解除の通告を受けたので、大いに驚き、翌二十日直ちに同年四月分より同年八月分までの未払賃料合計金七千九十五円を訴外石川ナツ方に持参し、同訴外人不在のため、その夫庄一に面会してこれを提供したが、同人より原告の了解を得なければ受取れないとて、その受領を拒絶されたため、その翌々二十二日弁済供託をなし、同月二十七日訴外石川ナツに宛て右供託の通告に併せて円満解決を懇請する旨の書面を寄せていることを認めることができる。右認定の事実によれば、前記無催告解除の特約条項は当事者の合意によつて改訂せられ、催告なくして契約解除をなすことは許されないことになつたものといわなければならない。原告は、右は訴外石川ナツの好意的態度に過ぎず、従つて前記特約条項の趣旨を変更するものではないと争うが、右認定の事実に照らし単に一片の好意に止まるものと解し去ることはできない。仮りに右特約条項がそのまま存続するものとしても、前記認定のような事情のもとにあつては、もはや、何等の催告なくして契約解除をなすことは信義則上許されないことになつたものといわなければならない。なんとなれば、訴外石川ナツはその一連の行動を通して、被告森尾に対し、無催告契約はあり得ないとの期待を与えたものというに妨げないからである。」